この投稿は、2020年は11月の20日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
20日と記していますが、20日頃。ですね。
舞台芸術と観客のいる参加型の政治というようなタイトルの読み物を読みました。 スペインのかたが記したものです。
社会学ですね。
丁度やっていることがありましたので、他国で、また日本で、そのようなことは実際に起こり得るのか、また、懸念として持つことは意味のあることであるのか。ということを考えた次第です。
その読み物に記されていますは、これの良い部分と悪い部分についてと、実際からの考察を含んだものです。
確かに客観的に観ますと、それぞれの国で違えどの、日本では同国の公共の福祉に反しない限りは認められている。とありますのデモクラシー...壊すことから好きじゃない...などにしろ、参加をしていると捉えることができますし、署名を集めてやら書面などでの提案も、参加であり、同参加者と観客が、ときにイクオールであったり、そうではなかったりと致しますね。 演者となることに酔いがあったり、参加をすることに熱がありますので、それはそれとしてですが、Twitterなどでの意見交換などもそうですも、最近の日本でのTwitterの惨状を観ますと、既に上とも違うようになってきていて、何年か前でしたか、同社でありましたかから、皆が無料で使う為であることを逆手に取り、(とんでもないという意味が入っているはずです)悪いことをするのであれば、無料で使えなくなる。というようなこともありました。
舞台芸術家とされてはいますが、次第に観客に興味がなくなる。というようなことも懸念として記されていますし、大きくなってきたり、長くやっていると、このようなこともあり、日本でも似たようなことを思うかたも多く、懸念を記しているかたもいますね。 *単に何もせずに寄越せ、寄越せとしているということとは別の問題であり、国ではなしに、政治家と国民の関係と、数字があれば良いテレビと視聴者の関係も似ていますし、そのようにも記していますが、同じようなことの懸念は思うかたも多いということでしょう。
いっぽうで言いますところの、どうしようもない意味での同じことの繰り返しであったり、衆愚と捉えるしかないようなこともあることからや、蓄積がありそれまでの対応で賄える部分も多くになってきますと、興味がなくなるんです。
そうならないように他方からの注進であったりもありますし、選挙権云々ではなしに、意見や勉強や遊びにもなっている、普段からの有り難いことなどをなくさないように、自分も気を付けなければいけないことでしょうし、多くのインフルエンサーと言われるかたもそうですね。
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