この投稿は、2021年は3月の26日にメッセンジャーに記していた雑記を、ブログ用に纏めたものです。
この頃のことですも、日本とある国の特に社民系の教科書の違いについてが言われていましたが、そもそも、日本と違う教科書である国は多く、これが同じでありませば、皆日本と変わらないということです。 数学などは日本とインドで違いますしね。
日本と台湾でも違いますよ。 日本とアメリカでも違いますよ。
ある国とは相容れることはない旨放送があり、それはそれですが、一般のかたは普通のかたであり、経済的な繋がりもあるはずであり、その後にテレビもそういう意味合いでの放送に切り替えてもいましたが、今の子たちは皆同じ教科書で勉強をしていると思っているような部分もありますので、少し言うとすぐに大変になったり。
全てを外すとなっていますが、そうですかね。
これが、性格やら気質の面でのことと致しまして、城取りをしていた昔からのことであるとなってもいて、日本はそうではないとなってもいたんですが、そうではなく、日本でも昔はそうですね。
その後、4月に入ってからはまた、坊主憎けりゃ袈裟まで難い。という言葉のようではなしに、エンターテイメントや都会のこととか他、日本のお寿司のことや、そういう意味の放送はしだしてもいますけれどね。 アメリカの大統領も、そこ系含むアジア人種への差別に繋がることはダメとなってもいますし、気候の問題では一緒にというか話し合いをするでしょう? *アメリカと中国で話をしていますね。
他が静かになれば日本のTwitterであったりともしますけれどね。
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